着ているのは、豊根村での農作業用に作ったという「Chageのずっと細道」の作業着
Chage
1958年1月6日生まれ、福岡県出身。CHAGE and ASKAとして1979年にデビューし、以降、数々のヒット曲をリリースする。2022年以降は「Chageのずっと細道」と題し、日本各地の文化や風習に根差した活動を展開中。各地でその歌声を披露している。
Chageのずっと細道 Youtubeチャンネル
「すべて昔ながらの手作業でビックリです」
CHAGE and ASKAやMULTI MAXの活動で知られ、
現在はソロ名義で精力的に全国を回っているミュージシャン、
Chageさんは2022年と2023年に稲作に参加。
特別に歌声も披露した収穫祭当日に、
豊根村いただきファームについて話を聞きました。
●実際に、田んぼオーナーとして農作業に関わられていかがでしたか?
ここまで本格的に稲作に携わるのは初めてでしたし、そもそも農業自体が初めてだったんですよ。僕は本当に町っこだったんです。北九州の工場地帯で育って、その後は博多の街中で過ごし、すぐデビューして東京に来ましたから。田んぼを見るは旅の途中の景色ぐらいだったので、まさかこんな機会があるなんてね。豊根村は景色もすばらしいし、空気も美味しいし、食べ物も美味しいし、豊根村の人たちもみなさんすごくいい人で、こういう機会を与えてもらって感謝していますね。
●印象に残っている作業はありますか?
初仕事が田植えだったんですよ。それも手植え。機械でやると思っていたんですけど、全部昔からの手作業で最初はビックリしました(笑)。苗の掴み方から植え方まで、全部が初めてだったんですけど本当に楽しくて。実際の作業は田植え、草刈り、稲刈りをしたんですけど、一貫して脈々と流れていたのはリズムなんですよね。一定のリズムで進めていくと本当にはかどる。音楽と一緒だな、と。音楽が生まれた一端がそこにあるように感じたし、音楽の源流に会えたような意外な気づきもありました。
●想像していた以上に、さまざまな気づきがあったようですね。
草むしりなんかは、なんでこんな作業が必要なんだろうと思っていたんですけど、やらないと稲の栄養が取られちゃうんですよね。だから真剣にやりました。それも手作業で(笑)。稲刈りはカマでやって、最後は稲を干して、そしてこれから収穫したばかりのお米をいただくわけです。新米が美味しいのは当たり前なんですけど、僕も参加して作った稲をいただく。お米をいただく尊さ、米粒ひとつ無駄にできないなと心底感じますし、感無量ですよね。何気に食べてたお米が、年間こういう工程を経てできあがって、それが太古の昔から変わっていないというね。すごいことですよね。
●Chageさんは毎回、東京から参加されていたんですよね?
東京から毎回6時間ぐらいかけて(笑)。実は今「Chageのずっと細道」という企画を立ち上げていて。今までの僕らのライブって言うのは、もちろん地域には行くんですけど、会館とホテルと駅や空港の駅の景色しか知らなかった。もっと地域に根付いた景色だったり、人、食べ物、そういうものを深く掘り下げて旅をしていこうという企画なんです。ライブツアーじゃなくて旅なんですよ。その一環に歌が乗っかっている。主役は町なんです。豊根村は確かに時間はかかるんですけど、土と戯れたり、むしろ毎回リフレッシュしていましたね。参加している方の世代も広いですから、いろんな人とお話しながら田んぼを手入れする。そういうことってなかなかないですから本当に新鮮でした。毎回毎回ご飯も美味しいし。
豊根村は確かに時間はかかるんですけど、土と戯れたり、むしろ毎回リフレッシュしていましたね。参加している方の世代も広いですから、いろんな人とお話しながら田んぼを手入れする。そういうことってなかなかないですから本当に新鮮でした。毎回毎回ご飯も美味しいし。
●このあとは収穫祭ですが、ライブも披露していただけるんですよね。
豚汁とご飯の前でね(笑)。でも、こういうことが音楽の原点でもあるし、音楽が人々をつなげるものであること、日常の中に音楽が溶け込んでいることを確認できる。ちゃんと歌わないとな、と思いますね。稲作と音楽ってかけ離れているような気がするし、全然別なんだけど、たどっていくと同じところにたどり着く。面白いな思いますよね。そういう気づきが嬉しいですよね。やってみないと見えない景色がありますからね。
●いろいろな出会いもありますよね。
愛知大学の学生さんも参加しているんだけど、生徒さんのひとりが寄ってきて「母が昔追っかけをやっていたんです。電話してもいいですか?」と。田んぼの真ん中ですよ(笑)。電話の先で飛び上がってました。そういう昔は予想もしていなかった触れ合いもいいですよね(笑)。